新国立劇場「デカローグ」記者会見 小川芸術監督「1つ1つが素晴らしいが10篇見るともう1つ壮大な絵になる作品」

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新国立劇場は2023/24シーズンの最後の4カ月にわたって行われる巨大プロジェクト『デカローグ』全10作の記者会見を3月11日に行った。

デカローグは、「トリコロール」三部作、『ふたりのベロニカ』で知られるポーランド出身の世界的映画監督クシシュトフ・キェシロフスキが発表した映画作品。旧約聖書の十戒をモチーフに1980年代のポーランド、ワルシャワのとある団地に住む人々を描いた十篇の連作集で、10編の物語はオムニバス形式になっており、それぞれが独立した1時間程度の作品だが、緩やかに実は密かなつながりを持っている。

元々テレビ映画用ミニシリーズとして1987年から88年にかけて撮影され、その質の高さが評判を呼び、その後世界で劇場公開され、スタンリー・キューブリック、エドワード・ヤン、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)など世界の映画作家が賞賛した作品だ。

今回、新国立劇場ではこのデカローグ10部作を完全舞台化し、4月から7月までの4カ月にかけて、大きく3つのブロックに分けて上演する。まず、4・5月はプログラムAとBとしてデカローグの1、2、3、4を交互上演。5・6月にプログラムCとして、デカローグ5、6を上演。6・7月にプログラムD、Eとしてデカローグ7、8、9、10を交互上演する。演出は10本を新国立劇場演劇部門芸術監督の小川絵梨子と、次期芸術監督に内定した上村聡史が分担して担当する。

会見にはこのプロジェクトの発案者である小川と、小川とともに演出を担当する上村、翻訳者の久山宏一、上演台本担当の須貝 英、そして全出演者43人のうち寺十吾、内田健介、伊海実紗を除く40名が登壇した。出演者はいずれも長大なシリーズ作品に参加できる喜びと緊張を語ったほか、演出の小川が、新国立劇場に関わる以前から長年温めていたこの作品の舞台化にかける熱い思いが感じられる会見となった。

以下、取材陣との質疑応答。

──なぜ今これを上演するのか? また演出する時の面白さ、あるいは難しさは?

小川絵梨子
なぜそもそもというところですけれども、先ほど申し上げたこととちょっと被ってしまいますけれども、人間に対する非常に距離感はあるけどどこか肯定的に、温かい面、人間が不完全なものであるという前提に対してすごく断罪的ではなく、そういうものなのだ、というところも含めて肯定的な目を持っています。
存在自体に対するある種の根源的な肯定というのはすごく大事な要素だなと思っていまして、そのうえで、どんな選択をしたか、そして失敗してしまったり、はっきり言えば失敗の報いを受けることももちろんあります。その選択が良かった悪かったという話を書いてるのではなくて、そこで失敗してしまった人の葛藤だったり、どうしてこうできなかったんだろうかと自分を責めたり、道を探したりという。ただ、その根底には人間の存在ということを、その人が存在することというのは圧倒的な根源的な肯定を感じるものだと思ってます。
この視点というのは、実は日常では実は忘れがちになってしまうこともありまして、人がそこにいてくれること、ここには基本的にはやはり根源的な肯定感というのは持っていなくてはならないのではないかなと思います。何をするか、どんな選択をするかっていうのは、もちろんそれは民主的なことであって、存在へのリスペクトであったり肯定っていうことは、日本で、今もちろんいろんな論争があったり、社会の変化ももちろんありますけれども、改めて一番根底となる、人がそこにいるということ、家庭があるということ、彼女がいるということ、友達がいるということ、コミュニティがあること、自分以外の他者がそこにいるということ。そして、自分がここにいるということ、いるということへの、生きていることへの根源的な肯定という風に改めて出会って、これから社会をより良くしていくための、改めてこう背中を押してくれるような作品なのではないかなと思っております。
もう1つ、演出の楽しみ。そうですね、物語が非常にしっかりしておりますので、これを俳優の皆さんと一緒に探らせていただくってのは非常に楽しみです。実を言いますと稽古場が贅沢にも2つありまして、隣りを覗くと上村さんもいてくださるので、実は我々タバコも吸いますので、タバコ場であのシーンどうやってるとか、そんな話もしながら、実は本当に大きな仲間と一緒にやらせていただいてるような、そんな気持ちで、それはすごくすごくすごく贅沢なことだなと思っておりますし、まさしく本当にデカローグの世界のように他者と一緒にいることへの改めての感謝と喜びっていうのを感じながらやっています。

上村聡史
まさしく小川さんからこの話をいただいた時に、この80年代後半の、デカローグをやるって、ちょっと引っかかるところがあって見直したんですけども、やっぱりこれが小川絵梨子の真骨頂だなって僕は思ったんですけど。物語を信じる力っていうのかな。
1つの作品を2人の演出家がやるって、大体個性がぶつかって悲惨な稽古場になることが多い。過去、そういう例を見てきたりもするんですけども、今回1つの作品を2人で、パートは分れますけど、ちょっと小川さんの物語を信じる力に乗ってみたいっていうのがあって。そうすると、ちょっと今や意味に見えてくるというか、それぞれ登場人物が欲するところに動くんだけど、それで苦渋の決断を強いられるっていう、その辺りは、今、多数派の意見に右に倣えみたいな空気感っていうのはどうやって打破できるのかって。それ、自分たちの生きてる感性っていうのが暴走しちゃうと、それはそれで秩序だったりとか社会って乱れるんだけど、だけど、そればっかりになっても僕たちはこう、自分の幸せはおろか、未来も獲得できないみたいな現状に今あると思うんだけど、なんかその辺りって、このデカローグの中で、存分に含まれている要素がある。
さっき言ったことと重なりますが、感性のその輝きみたいなものを大事にして、出演者が表現してくれるその辺りを大事にしたいなと思うのと、演出してて何か楽しみどころになるかなって。今言ったその感性の輝きみたいな、ちょっと人の内面に肉薄していかなくちゃいけないところになると思うんだけど、なんかそういうものを舞台で見せれるって、ちょっと贅沢じゃないですかって、僕は思うところがあって、その表層的に面白いシーンだってなんだってやることができるんだけど、そうじゃなくていかにこの社会の中での現実のありようって考えた時に、すごい魅力的なパフォーマンスないし演技、演出だなってちょっと思うんで、その辺りが演出の楽しみどころだと思っています。

──演出家が10作のどれを担当するかをどうやって決めたのか? また小川芸術監督はいつからこの企画を考えていたのか?

小川絵梨子
企画自体は実は新国立にかからせていただくずっと前の、10年ぐらい前に、個人的にいつかなんかこの作品っていうのは舞台ができたらいいなという風に思いました。それぐらい私にとって大切に感じました。私自身、否定的だったりネガティブだったりとか、不安が強いとか、そういうことが色々ある時に、そういうところもあるんだっていうことは、すごくこう肯定的に感じていて、改めて、肯定っていうものに社会が出会うっていうのは大事なことかなと思います。それは10年前から実は変わっておりません。
それで、演出の担当の分け方なんですけれども、これは上村さんと2人で話しながらで、誇張じゃなくて、本当に2分ぐらいでばーって決めていきました。お互いの演出作品はずっと見ておりますので、私は上村さんに「これとこれ、いいんじゃないかな」と思って、上村さんは「小川さん、これとこれいいんじゃないかな」みたいな感じで、驚くほどすんなり決まった。これでいいですか。

上村聡史
はい。おっしゃる通りです(笑)。

──全部のプログラムを見た場合、達成感以外で得られるような仕掛けはあるか?

上村聡史
ちょっと簡単な言葉になっちゃいますが、お客様の人生の中で長く生きる作品になると思います。

小川絵梨子
1枚1枚の絵が素晴らしい1つの絵なんですけれども、その絵を1枚ずつエピソード1、2、3って重ねていくと、エピソード10まで行った時に、重ねた絵がまたもう1つ壮大な絵にも実はなっているというような仕掛けだと思います。各エピソードが1枚1枚の絵として美しいんですけれども、さらに大きな視点っていうのをお客様自身が感じて、その物語を完結されると思います。
これは通して見ていただときに、この世界をお客様自身が多分体感して、物語をご自身の中で続けるか、完結するかっていうことだと思います。これは多分、テレビドラマのキェシロフスキ監督もそのような意図でお作りになったんではないかなと思っております。

以下、記者会見でのスタッフ、出演者たちのコメント

久山宏一(翻訳)
今からちょうど36年前の今日になりますけど、1988年の3月11日にポーランドでクシシュトフ・キェシロフスキ監督の「殺人に関する短いフィルム」が封切られました。デカローグ10話全編に先行して作られたデカローグ5の劇場映画版です。当時ポーランドに留学していた私は、死刑制度に異議を表明する社会的作品として大評判だったこの作品を劇場で見、その芸術性の高さに圧倒されました。
デカローグ全編がテレビ初放映されたのは、それから2年以上を経た1990年初夏のことです。東欧革命の直後で、民営出版社が雨後の筍のように誕生していました。その1つ、現在はもう存在しない小出版社からデカローグシナリオ集が刊行されました。発行部数は5万部です。私はたまたま立ち寄った書店で300ページほどのその本を見つけて購入しました。
今回、翻訳を通して、デカローグの原型であるシナリオ版と映像版を比較する幸福な機会を得ました。興味深い発見が多々ありました。セリフの変更は言うに及ばず、あるシーンがそっくり省略されていたり、新しい結末が付け加えられていたり。1980年代初めから映画人の育成にも携わっていたキェシロフスキは、当初10人の若手監督をデカローグでデビューさせる計画でしたが、友人の弁護士と共同執筆したシナリオに強い愛着を感じて、自ら全作品を演出することにしたそうです。
とすれば、シナリオは若い映像作家たちによって映像化されることを想定して書かれていたことになります。今回の舞台化は、日本の若い才能ある舞台人たちによる脚本の再解釈という意味では、キェシロフスキのそもそもの意図の実現だったとも言えるかもしれません。当時40代半ばだったポーランドの映画監督キェシロフスキの果たされなかった夢が新国立劇場でどのように実現するか、1人の演劇ファンとしてとても楽しみにしています。

須貝 英(上演台本)
はい、上演台本を勤めさせていただきました、須貝 英と申します。今日はお集まりいただきましてありがとうございます。最初にお話をいただいたのが、英国ロイヤルコートシアターと新国立劇場の方でタッグを組んで行っていた劇作家ワークショップというものがございまして、私がそちらの方に参加させていただいて、それが終わった後に新国立劇場の制作の茂木さんの方からお「こういうすごい企画がありますけど興味ありますか」というお言葉いただきまして、当然あります、ぜひやらせてくださいということでお受けしたのを昨日のように覚えております。
ちょうどコロナ禍であったこともあって、この作品に関わることを心の支えとして今までやってこれた部分もありますし、その劇作家ワークショップというものが、もちろんそれ自体も素晴らしい時間だったんですけど、その参加者の中から今回の上演台本を書く人を選びたいということをおっしゃっていたので、これも感動した覚えがございます。
実際に上演台本を書いてみてですけど、とにかくやっぱり本数が多いので、自分は演出家がお2人いらっしゃるので、書くのも2人いるのかなっていう風に勝手に思っていたんですけれども、1人で全部やるということを知り、ちょっと衝撃を受けましたけど、でも、これだけ新しい作品を全部自分で関われるっていうのは、とても幸せなことだなと思いまして、嬉々としてやらせていただきました。
資料をあたるのがすごく大変で、10本分のシナリオと、あと久山先生が翻訳されたものと、あとは当時の世相ですとか、そういうことも調べながら、翻訳することが1番大変だったなという風に思ってはおります。あと、やっぱり映像のファンの方もたくさんいらっしゃるので、その方たちを失望させてはいかんという気持ちを感じつつ、でも舞台の上演台本にはしなければいけないっていうことで、そこの試行錯誤もかなりしたなという風に思っています。でも、小川さんと上村さんがどういう道筋でいくかっていうことを示してくださったので、そこに沿って書けたので、それはすごくありがたく書けたなと思っています。

小川絵梨子(演出)
見ていただきました通り、総勢実は50人弱のキャストの皆様、そしてたくさんのスタッフの方々と4カ月にわたる大きなプロジェクトになっております。新国立劇場としても大きな挑戦になりますし、もちろん我々にも、初めてのことなんですけれども、この規模だからこそ描ける大きな大きな人間の物語というのをお客様にお届けできたらなと思っております。
デカローグですが、キェシロフスキ監督は意図的にこの登場人物たちを、どこにでもいる我々の隣人として、もしくは現代人の象徴として描いています。我々の物語であるということ、そして、このたくさんの人々の存在を通して、人間が存在することへの根源的な肯定というものを監督は書かれていますし、私もそれをとても大事なテーマだと思っております。それをデカローグを通して皆様に少しでもお伝えできたら、これ以上の幸せはありません。どうか4カ月間、ぜひ劇場にお越しいただいて、私達と一緒に長い旅路を楽しんでいただけましたら幸いです。よろしくお願いいたします。

上村聡史(演出)
ご紹介いただきました全10話のうちの半分の演出をします上村です。今回、小川芸術監督からこのデカローグの演出をお願いしますということで、知っていた作品なんで、2つ返事でやらせていただきました。
こうして稽古も始まり、初日が近づいてくると、ポスターだとかチラシに演出・小川絵梨子と上村聡史と連名で書かれることが多く、多分見てるお客さんは「あれ、このエピソードはどっちが演出してるんだろうな」とか、そういうこんがらがってくる状況があると思うんですね。実際は上村が演出してるけど、「これが小川演出だな」って思われることもあるんじゃないかと思って、それでインプットされちゃったら、ちょっと下手な演出できないなっていう思いがあります。小川絵梨子という名前を汚さぬように……逆も然りということもあるかもしれないので(笑)。
日本ではなかなか馴染みのないこのデカローグという作品なんですけども、近現代史においてはとても功績を残した作品です。キューブリック監督も「この1本をというのをあげるならばデカローグ」と言われるぐらいとても功績の大きい作品なんですけども、やはりこれは過剰な演出だとか過剰な映像美とかということではなく、キェシロフスキが見つめた人間の視点、そしてその人間と背景の配置によるその奥行きのある映像の連続だと思うんです。
ほんと詩のようなタッチがこのキェシロフスキだと思うんですけども、それに加えてやはり脚本がしっかりしているといいますか、久山さんが翻訳してくださったこの映像になる前の原作脚本というのが非常に緻密に計算されてる脚本なんですね。現在でもヨーロッパではこのデカローグを元に演劇化されたプロダクションも多いみたいなんで、やはり映像の枠を超えた物語力がある作品かと思います。
作中には、愛を信じて、ちょっとこう、常識外の行動に出てしまう人もいたり、その逆に、憎しみから常識外の行動に出てしまったり、過去との、対峙、嘘をつくことの苦しみといった、十戒というものが必要なんじゃないかと思える登場人物たちが、自らの感性と実直に向き合って、その葛藤を繊細に描かれている。今、日本で舞台芸術としてお客様に届ける時に、ちょっとこの頼もしいキャストの皆さんとその感性の押し引きみたいなことを、時に熱量を高く、時に諦観の視点を持ってお客様に届けることができればいいなと思います。どうぞご期待ください。

ノゾエ征爾
デカローグ1、クシシュトフ役で出演いたしますノゾエ征爾です。デカローグ3にも出演します。デカローグ1は「ある運命に関する物語」っていうことなんですけれども、設定としては、とある家族にスポットを当てております。大学教授である私と12歳の息子がいます。彼には伯母がいて、それは私の姉っていうことになるんですけども、高橋惠子さんが演じます。主にその、その3人にスポットを当てているんですけれども、やがて彼らは……というお話です。
いや、もうなんでしょう、まずは、もう今本当に上村さんも小川さんもおっしゃってましたけれども、まずそこにちゃんと生活することかなと考えております。この巨大な団地の中に住まう人々っていうことでこれだけの方がいらっしゃいますけれども、こうして見渡した時に、僕としてはこれが団地というよりも演劇という団地のような感じで、知っている人もいます。初めてお会いする方もいます。
演劇というか表現の団地の中に住まう人々がこうして集まっていて、改めて今日、ずんと感じたんですけれども、ごまかしが効かないなと感じました。上村さんもおっしゃってましたけど、何か過剰だっていうことではなく、ちゃんとそこにいること。私も1人息子がいますけれども、劇中の12歳の彼を見ていると、なんかすごく心によぎることもあって、実生活でも改めて息子に対するまなざしとか気持ちが変わってきていて、そういうことも全部ぶざまに持ち込んでいけたらなと思っております。

高橋惠子
デカローグ1のイレナ役で、今ご紹介いただきましたノゾエさんの姉の役。ほんとにこう、こんなに壮大なドラマと言いますか、4カ月にわたって劇場で皆様に見ていただくという10編の話をこういう形というのは多分今まであまり見たことがない。そうした中に出演させていただけることをまず私自身とても嬉しく、光栄に思っております。
そして、今この時代だからこそ、この作品がきっと見ていただく方の胸に突き刺さったり、しみたり、何か感じていただけることがたくさんある作品だと思っております。私の役はノゾエさん演じるそのお父さんとは違って、目に見えない魂とか神様とかを信じているという設定の役です。
もちろんそのノゾエさんも全く信じてないわけではありませんけれども。この3人、そしてそれを取り巻く人々。私、この台本を最初に読ませていただいた時に読み終わってしばし呆然として動けなくなってしまいました。それくらい、とても言葉で何かを表すことができないものをどんと受け止めた感じです。お客様にも、そうした言葉に表せないほどの感動、心を動かしていただけるように、私たち稽古を積み重ねて務めていきたいと思っております。

千葉哲也
3話の「あるクリスマスイブに関する物語」でタクシー運転手のヤヌシュという男を演じます千葉哲也です。ストーリーとしてはあるクリスマスイブの話ですけども、なんですかね、過去に不倫関係のあった男女が、その彼女のパートナーが行方不明で、それを探しに行くというひと晩の話です。大まかな話はそうなんですが、お互いに抱えている孤独っていうんですかね、その孤独を確認し合う話と今思って稽古しております。

小島 聖
今毎日稽古してるんですが、演劇っていいなって素直に思います。映像ではできない、ここが車の中であるって自分たちが思えば車の中になる、その演劇ならではの醍醐味がとても散りばめられた作品だなと思っています。
あと、毎日とってもしんどいです(笑)。エネルギーをすっごい使うみたいです。それは多分、その表面に自分の感情を出せばとても簡単なことなんですけれども、それをいかに出さず、いかにそれをキープしたまま突っ走るか、相手と駆け引きをするか、っていうところを今小川さんと一生懸命探っている段階です。どうぞぜひ観にいらしてください。

前田亜季
「ある選択に関する物語」でドロタを演じます前田亜季です。私たちも普段小さなことから選択の連続で生きているんですけども、この物語に出てくるドロタという女性も、夫が不倫中、そして愛人の子を身ごもっており、すごく彼女にとって大きな選択を前に悩んで葛藤している女性です。主治医の益岡さん演じる医長の選択だったりも、それぞれがする選択が影響し合って、どんな未来をこう獲得していくのかという物語かなと思っております。
本読みが4日間あり、立ち稽古に入ったところなんですが、なんか本読みで初めて皆さんと声を合わせた時にやっとわかることだったりとか、腑に落ちることがあったり、上村さんがくださるひと言で全然それまで違うところに飛んできたりとか、すごく面白い稽古が始まっています。これからもっともっと深めて良い初日を迎えられるよう、より頑張りたいと思っています。

益岡 徹
デカローグ2に医長の役で出演いたします。益岡です。そうですね、こんな大きなプロジェクトっておっしゃいましたけど、ただ、すごくスポットが当たる場所っていうのは小さいです。団地の一室なんです。
それで、ドキュメンタリータッチな監督っていうことも伺ってますけれども、その外に出ていくその描写も密着してる感じで、そういう大きな団地を覗いてみたらこうだったみたいな、そういう面白さ、それが10話もあるっていう、その贅沢さと言いますか、改めて、これだけ俳優の皆さんお集まりになってるのも含めて、それがすごく見どころになるのではないかなっていう風に思っています。

近藤芳正
「ある父と娘に関する物語」で、父親のミヤブをやらせていただきます近藤芳正と申します。父親と娘の2人暮らしでして、娘は演劇大学に通っていて、2人暮らしなんですが、母は娘が生まれてすぐ5日後に亡くなっちゃって、普通の親子よりも、どっちかっていうと友達みたいな親子でして、お互いにちょっと恋人同士の匂いもあったりするような非常に仲のいい親子なんですが、ある秘密が見つかりまして、その秘密に対してどう対処していくかっていう話です。
私、父親で娘を持つ役ってのは結構意外といっぱいありまして。なぜかいつも子供は娘役が多くてですね、息子役ってないんですよね。なので、娘役に関してはかなりパーフェクトかなと思います。期待していただければと思います。

夏子
近藤さん演じるお父さんの娘のアンナを演じます夏子です。近藤さんと親子を演じるにあたって、まずは近藤さんのことをコンちゃんって呼べるところから、ちょっと今ね、努力しています。今はできてないんですけど(笑)。
一通の手紙によって親子の関係がどう変わっていくのかっていう物語で、そこの繊細なやり取りを楽しんでいただけるように頑張りたいと思います。

福崎那由他
デカローグ5「ある殺人に関する物語」ヤツェク役を演じさせていただきます福崎那由他です。その名前の通り、ま、殺人から始まる物語なんですけど、つかみどころがないままにタクシー運転手を殺害してしまうヤツェクという青年と、死刑制度に対して反対の意を持っている新米弁護士ピョトル、この全く出会うはずがなかった2人が、青年が起こした殺人によって交わってしまうという物語です。
まだ僕は稽古が始まってなくて、ヤツェクが僕の中にいるっていうのはまだ実感としてはないんですけど、これから稽古をとおしてヤツェクという役に向き合って、舞台上でヤツェクとして、生きることができるっていうのがすごく楽しみです。

渋谷謙人
ピョートル役の渋谷謙人と申します。まずは、こんなに心強い方々と一緒に作品に参加できること、本当に幸せに思います。名前がいいなって思いました。最初に読んだ時に、そして映画を見た時、僕は新米弁護士のピョートル、彼はヤツェック。自分自身、作品を何か読んだり見たりするときに名前を気になってしまうこだわりみたいのがありまして。劇中に人の名前を呼ぶ場面が自分にもあるので、大切に呼んでいきたい、呼べたらなとは思います。
劇中に死刑制度ということに触れてるんですが、今までしっかり自分でそういうことを考えたことがなくて、デカローグという作品も知りませんでした。1988年にポーランドで最後の死刑制度があったみたいで。この作品は87年の物語。87年に起きた犯罪と88年に起きた犯罪、似たような、同じような犯罪だとしても裁判の判決の下され方が違うって「エエッ」って僕は思ってます。それは日本に置き換えても、僕自身に置き換えても「エエッ」と思うことが多々ある。それと向き合うきっかけになったり、これをご覧いただいた方も少しそういうことに関心を持っていただければ幸いです。
デカローグ5「ある殺人に関する物語」が持つ役割、そして自分ができる役割をしっかり見つけて全うしたいと思います。

仙名彩世
「ある愛に関する物語」は、郵便局員の青年トメクという青年が、向かいのアパートに住んでいるマグダという芸術家の女性を日々望遠鏡を使って覗いているというシチュエーションが多く描かれています。ある出来事でトメクを深く傷つけてしまって、マグダも見返りを求めない愛というものを信じていなかったんですけれども、徐々に彼女の心も変化していきます。それぞれの登場人物の愛をじっくりと見つめていただけたらと思います。この壮大なプロジェクトに参加させていただけること、幸せに思います。大切に演じたいと思います。

田中 亨
僕はデカローグ5にも出演するんですけれども、デカローグ5では喫茶店店員と看守長、そしてデカローグ6では郵便局員の青年トメクを演じます。田中 亨です。
デカローグ5、デカローグ6は、仙名さんがおっしゃった通り、結構僕のトメクが向かいに住んでるマグダの生活をずっと覗き見しているところから物語が始まります。それで、僕の働いている郵便局にマグダが来て、そこからどんな風に、タイトルにもありますけど、愛の物語になっていくのかっていうところは、純粋に作品を楽しんでいただければ、とても見ごたえのある作品になってると思いますので、ぜひ楽しみに待っていただければなと思っております。

吉田美月喜
デカローグ7「ある告白に関する物語」でマイカ役を演じます吉田美月喜です。この物語は、私が演じるマイカには子供がいるんですけど、その子供を津田さんが演じられる母エヴァの娘として育てている家庭があって。そこからマイカが娘を連れてカナダに一緒に逃げようとする話になっています。
このデカローグという作品は、私自身この舞台をきっかけに知ったんですけれど、すごく周りの方からも、デカローグ見るねとか、大人の方から特に声かけていただいたりして、すごくこの作品がたくさんの人に愛されてるし、大切にされているものなんだなっていうのをすごく実感しています。
あとはやっぱりこんなたくさんの方と一緒に、その一員として作品を作れることがすごく今嬉しく思っています。
私自身が海外の戯曲を演じるのがちょっと初めてなので、本当にわからないことだらけなんですけど、稽古を通していろんなことを学んで、本番全力で臨めたらいいなと思っています。

章平
デカローグ7ではヴォイテク役、デカローグ8「ある過去に関する物語」では大学の事務員など6役を演じます、章平です。
今日ここに来て、この皆さんと顔を合わせて、すごく本当に壮大な企画に参加させていただけるんだなと身が引き締まった思いなんですけれども、この自分がでる、デカローグ7、8は本当に自分のマンションの部屋の隣りの人たちはそういう生活、そういう人生をたどってるかもしれないっていうような、本当にどこにいてもおかしくないような人たちがその場で生きてる物語ということで、自分もそうですね、できる限り、表現をそぎ落とすというのはあれですけれども、本当にただ生きるだけというのを目標に稽古に励んでいきたいと思います。すごく楽しみです。頑張ります。

津田真澄
デカローグ7でエヴァ役を演じます津田真澄です。私が演じるのは、吉田さんが演じるマイカのお母さん役なんですけど、これが、この家族が、幕が下りたときに「この後どうなっちゃうんだろう」っていう、ハサミでプツンと切られたような終わり方をするので、この家族のその後の行末がすごく気になる家族です。でも、その緊迫したシーンがすごく多いので、もうヤクルト1000を2、3本飲んで、ストレス緩和して、睡眠の質を高めて、美味しいものを食べて。で、稽古中は笑えないだろうから、稽古が終わってからいっぱい笑って、元気に臨みたいと思います。よろしくお願いします。

高田聖子
デカローグ8「ある過去に関する物語」にソフィア役で出演いたします。高田聖子です。よろしくお願いします。
この物語は、過去に関する物語タイトルそのままなんですけれども、ある辛くて重い過去を持つ者たちが、その過去と向き合いながら生きてきて、数十年経って、また改めてその過去と向き合ったり、話したり、話せなかったりという物語です。
そう言いますと、なんかものすごくこうね、緊張感漂う、辛い、ま、そうなんですけど。細い緊張の糸がずっとこう繋がって、プルプル震えてるような物語ではあるんですが、なぜかどこかこう、魔法のような、ファンタジーのような、呪文のような、なんかそういう不思議な世界というか、人々にくるまれながら、その細ーい緊張の糸がずっとこう震えていくような、不思議な物語だなと思いました。
やっぱり人間はこう会って話をするってことがすごく大事なんだなって、今は本を見ながら思っています。ですので、稽古も本番も、皆さんといろんなことを話をしながら進めていけたらなと思います。

岡本 玲
はい。デカローグ8「ある過去に関する物語」で、エルジュビェタの役を演じます岡本 玲です。この話は過去の話なので、しかも何十年っていう過去の話なので、その時代時代、時間の流れをどう芝居で舞台上で表現できるのかすごく難しいだろうなと思いますし、そこを繊細に丁寧に作っていけたらなと思っています。
皆さんの話聞いてて、この話ってデカローグ10編分かれてますけど、なんかやっぱり色々繋がるところがあるなって思います。理想とか愛とか、信じるとか、家族とかそういうのも皆さん全部の作品の繋がりなどを大切にしながら演じたいと思います。

大滝 寛
7話で津田さんの夫ステファン役と、8話では仕立て屋と切手のコレクター役をやります大滝 寛です。今の高田聖子さんと岡本さんがお話になったように、この作品は倫理学の教授の過去について突き詰めていく岡本さんとのサスペンスと、心の交流が描かれてると思うんですけども、仕立て屋とか、ゴム人間とか、あとは酔っ払いとか、いろんな人類がこの物語に関わってきて、そういうところがまた一筋縄ではいかないキェシロフスキさんの、なんか終わらせないというか、人間のありようを見せるんだっていう、なんかそこらへんにこう、素敵だなという風に思っています。
あと、実は切手コレクターという役でも出るんですけけども、これがですね、10話に非常に繋がっているので、ここもぜひ内圧高めてちょっと頑張ってみたいなという風に思ってます。

伊達 暁
すごい盛りだくさんですね。早く全部見たい(笑)。9は「ある孤独に関する物語」、副題が「隣人の妻を取るな」ということで、私、40の心臓外科医のロマンを演じます。
ロマンはですね、若い奥さんがいるんですけども、10年ぐらい幸せな生活を送っていたんだと思うんですけども、この1、2年、ちょっと身体に問題を抱えまして、性機能にちょっと問題があるということで精密検査を親友に頼るわけですね。そうすると、一生それは治らないという診断をされます。まず妻と相談します。で、妻はそれを受け入れてくれて、なんとかこの先もやっていこうかなと話をするんですけど、実はその陰で妻には若い学生の不倫相手がいたという、自分で言ってちょっと情けなくなりましたけども。ある孤独に関する物語です。
映像の映画版を見させていただいたんですけども、その時に感じた1人の体の一部の機能を失ってしまった男性の孤独という、モヤモヤした内面というのものを映像から感じ取れたんですけども、それをどう舞台上に現出することができるのかっていうのが個人的なテーマではあるので、そこをこれから共演者の皆さんと一緒に、演出家の小川さんと一緒に、なんとかその映像で感じられた部分を舞台を見てくれたお客さんにも感じ取ってもらえるように、これから稽古に臨みたいと思います。

万里紗
デカローグ9では若い妻のハンカ役、そしてデカローグ10では同じ人物なんですけど隣の住民役を演じます万里紗と申します。デカローグ9は全てのエピソードの中でも一際こう、1対1の関係性の密度が高くて、言葉で語られない部分のドラマが非常に色鮮やかなエピソードだなと感じてます。
パートナー同士が、こう、相手の弱さとか恐れをまるで鏡のように映し出してしまう。そんな様が滑稽でありながら、とてもリアリティがあって、いろんな方に共感していただけるような気がしています。愛する人と全て通じ合いたい、全て分かり合いたい。そんな人間の拭い去ることのできない孤独や欲望と誠実に向き合ってまいりたいと思います。

宮崎秋人
デカローグ9では不倫相手役のマリビッシュ役を演じます。デカローグ10では若い男と刑事の2役を演じます宮崎修太です。そうですね。見所は。
この作品は話が進めば進むほど、伊達さん演じるロマンがなんか見てられなくなっていくというか、その様がやっぱり見どころかなと思うので、そのロマンのことを考えるとこの役は演じれなくなるので、とにかくなんかまっすぐ愛していけたらいいなと思います。
プログラム的にラストの方になって、小川さんがきっと疲れていく頃だなと思うので、しっかりと構ってもらえるようにくらいついていきたいなと思います。

竪山隼太
デカローグ10「ある希望に関する物語」でアルトゥル役を演じます竪山隼太です。主人公兄弟なんですけれども、石母田さん演じるお兄さんのイェジの弟役なんですけれども、お父さんが亡くなってしまって、久々に兄弟が邂逅して、お父さんの住んでたフラットに訪れるんですけど、すごい質素なお家で何も残ってないねっていう話をしてたら、お父さんが膨大な切手をコレクターしてることに気付くんですけど、ま、切手かって言ってたら、この切手1枚でもう本当に莫大なお金の価値があるものだっていうことが判明して、そこに巻き込まれていく人たちのお話です。
新国立劇場っていうと、やっぱり全キャストオーディションのイメージがすごくあって、今日楽屋裏から来たんですけど、その時の場所が持つ、なんて言うんですかね、記憶というか、あの時の緊張感だったりとかをすごくやっぱり感じて。今回これに参加させてもらえるってことで、すごく嬉しい限りです。物語の中でもお父さんのフラットを訪れて、場所の持つエネルギーというものをすごく感じるというのがあります。

石母田史朗
デカローグ10でイェジを演じます石母田史朗と申します。切手というもともと興味のなかったようなものに対して、それに対する価値とかお金というものがすごいっていうことを知った時に、それに固執していく様っていうのはもうすごく滑稽だと思いますし、何よりものすごく興味深い真理だなという風に感じております。
今回演出する小川さんはじめ、共演者の皆様、初めてご一緒する方ばかりですもので、現場で生まれるものをすごく僕自身楽しみにしています。

亀田佳明
天使役の亀田佳明です。天使だそうです。どうすればいいんだって話なんですけど、僕、唯一この作品全部に出演しますので、何よりの喜びは、よく知ってる俳優さんもいますし、そうじゃない、客席側から見てて憧れて素敵だなって思ってた俳優さんもたくさんいて、その方たちと稽古入れたら5カ月併走していけるっていうのが、もう何よりも僕にとっては楽しみです。今のところほとんど喋らないんですよね。ただ、これはまだあんまり断定的に言うなっていう御触れがあったんですけど、まだどうなるかわかんないですけど、今んとこちょっとそんな感じの天使になりそうです。
率直な気持ちは……。このデカローグは、小川さんと何年か前に雑談してた時から、「こういう話をやりたいな」っていう話を聞いていて、僕は不勉強ながら、この作品存じ上げなかったんですけど、あ、やればいいじゃん、面白そうじゃんなんていう感じだったんですけど、それが、こう、プロジェクトが動いていって、お話いただいて、で、その後に映画を見て、小説も読んだんですけど、この繊細さと、ま、ノゾエさんもちょっとさっきおっしゃってましたけど、表現に対するごまかしのない作りが、かなりこう、大変な作品を、舞台でやるんだなっていうのが、ちょっと今、少しおののいているところです。でもこの演出家2人は、そのごまかしのない表現を要求するっていう意味では、本当にしつこい2人なんで、かなり強度のある作品になっていくんじゃないのかなっていう予感はしております。
私、5カ月関わるんで、とにかく病気しないように頑張ります。

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