市井の人々が日々の暮らしの中で起こす心のさざ波を掬い上げるように活写する劇団青☆組。劇作家・演出家の吉田小夏が率いるこの劇団が、心の奥底にしまっていた記憶を呼び起こすような優れた舞台を作りあげた。
物語は湘南にある杉田家から始まる。定年した父の和彦、母の典子と共に暮らす長女・美雪にとって最近気になるのは、典子のもの忘れが急に目立ちはじめ、娘である自分を忘れるときもあることだ。昔の写真を見ていた典子は、70年代に大学のグリークラブで仲間だったふたり──その後夫となる和彦と、当時互いに好きだったのに家の事情で実家に戻っていった黒木健介──と鎌倉の海に遊びに行ったこと、その後も健介と文通を交わしていたことなどを懐かしく思い出す。記憶の糸は和彦との結婚、新婚旅行で訪れた宮崎で和彦が体調を崩し典子がひとりで観光することになって健介を呼び出し、恋人同時のような時間を過ごしたことまで呼び起こす。その二人の手紙が、時を経た現在の湘南と宮崎で、美雪と健介の甥・涼介の目にふれる。涼介は亡くなった叔父に代わり、典子のもとへ毎年蜜柑を送り、美雪は典子に代わって礼状の手紙を書いて涼介に送っていた。時を超えて湘南と宮崎の間で再び手紙のやり取りが続いて──。
あらすじだけ紹介するとかなり複雑な構成の作品で分かりづらそうに聞こえるかもしれないが、実際の舞台を観るとそんなことはない。
ステージ中央に小さな四畳半ほどのひな壇になった四角い舞台があり、そこが杉田家や宮崎の黒木家の居間や縁側、湘南や宮崎の浜辺、結婚旅行の飛行機と、さまざまな場所に見立てられる。またステージ両袖には、流木がオブジェのように置かれており、そこに立つことで、海辺のイメージを醸し出す。場面転換、とりわけ時間が過去に戻ったり現在に戻るような場面の切り替えの際には、波の音が流れるのが印象的だが、その際にこの流木があることで、観客に時間や場所が変わったことをイメージしやすくしている。五線譜がそのままカーテンになったかのような幕を吊った美術も、シンプルで美しく、時の流れを想起させてくれる。
小道具は箱馬と室内の場面でちゃぶ台が使われる程度で、今演じられている場面がどこで、登場人物の若い頃の回想か、現在の姿なのかといったことは、基本的には観客の想像力に委ねられるのだが、役者たちの生き生きとした表情がその時間と場所、そして登場人物が交差する物語を分かりやすく伝えてくれる。なかでも主人公である典子を演じた福寿奈央の表情の豊かさが光っていた。典子が新婚旅行で宮崎に行ったときに健介とふたりで過ごした時間を思い出すモノローグの場面、福寿が表情を変えるだけで、一瞬にして思い出の中の若い頃から老いの始まった現在へと場面が切り替わったことが観客に伝わってきたのは見事だった。
演技陣では福寿の他、美雪を演じた大西玲子が、痴呆の始まりつつある母の面倒を見つつ、新しい恋への期待に胸ときめかす30代の女性を好演している。美雪が書いた手紙をモノローグで語るところなどは、感情を抑えながらそこからこぼれ落ちる情感が、客席にストレートに伝わってきて、この物語の構造──美雪が宮崎にいる涼介に書いた手紙の内容が舞台上で展開されている、ということを明確にしてくれる。
一方、主人公の典子の夫・和彦を演じる藤川修二、若い頃の和彦と次女の娘婿を演じる荒井志郎はともに、優しいが今ひとつ存在感が薄い男という役どころにうまくはまっていた。それと対照をなすのが客演の小瀧万梨子(青年団)、日髙啓介(FUKAIPRODUCE羽衣)。小瀧は杉田家の次女としてサーフィンをする若い女性と、黒木家の祖母として方言を話す農家の老婆という正反対なキャラクターを芸達者に演じ分けてみせ、日髙も地方で農業にいそしむ力強い男の魅力を感じさせている。
■美しい響きの音へのこだわり
演出面に目を向けると、前述の波の音もそうだが音を効果的に使っているところが印象深い。劇中で『浜辺の歌』『金糸雀(かなりや)』といった大正時代の唱歌を歌う場面があるのは、もちろん典子と和彦、黒木がグリークラブにいたという設定のゆえだが、どちからといえばこうした消化を歌わせたいがためにグリークラブという設定にしたのだろう。なかでも『浜辺の歌』は、物語の冒頭に典子が若い頃を回想し始めるときと、終盤に回想から現在に戻るときに歌われる。
「あした浜辺をさまよえば昔のことぞ忍ばるる」(作詞=林古渓)
今はもう失われた恋の物語へいざなう重要な役割をこの歌は果たしている。また、吉田は2組のカップル──典子と和彦、典子と健介──が仲むつまじく過ごす場面で、自作の曲を役者たちにハミングで歌わせることで、恋人同士のアットホームな雰囲気を作り出していた。普通なら音楽家に作らせるか、もしくは自身が作曲できるならもっと目立つような形で用いるものだが、あえてそこは自作の曲は控えめに使っているあたりが、冷静な演出家としての適切な判断がなされていて好感を持った。
音楽に限らず、吉田は役者たちの台詞の言葉も、宮崎の方言を含めて音としての美しさ、豊かさが感じられるように発声をさせている。また、劇作家として書く台詞も、上演での音の響きの美しさに配慮して言葉を選んでいるところは、吉田の特異な魅力だと言っていいだろう。
■宮崎が舞台となった背景
さて本作が物語の舞台のひとつとして宮崎を取り上げたのは、実務的な面からいえば東京以外に宮崎での公演があったからであろう。とはいえ、単に公演先として選んだ訳ではない。吉田は以前、宮崎の市民劇の作・演出として滞在型制作のため長期間滞在したことがあり、そのときの交流がきっかけでリーディング公演などで数年間宮崎の演劇人と交流を続け、それが結果として新作の舞台として反映されることになったと推察される。
ちなみに宮崎とのつながりでいえば、劇中で宮崎に戻った黒木が育てているというみかんは恐らく宮崎の特産である日向夏であろう。酸味がやや強く6月が旬の日向夏は柚の突然変異した品種で、他の地域ではそのバリエーションとして作られた変異種がいくつかあり、それらは○○小夏と名付けられているという。作者の吉田が自身と同じ名前をもつという理由でみかんをモチーフに取り上げたのかどうかは定かではないが、宮崎と湘南の物語を結ぶつける存在に自らと同じ名前をもつみかんを取り上げているところはニヤリとしてしまった。
■吉田にとっての本作の意味
吉田は2009年に生誕80周年を迎えた故・向田邦子へのオマージュとして、向田自身をモデルにした舞台『午后は、すっかり雪』を上演するなど、向田を私淑しているが、今回の作品も向田の影響、とりわけ「あ・うん」のような親友同士と妻の微妙な三角関係、そしてその姿を通して恋を知る少女、という構造が似通っているところは興味深い。
吉田は初期の作品『時計屋の恋』(2006年)、『おやすみ、枇杷の木』(2007年)などで、向田邦子がかつてテレビや短編小説で描いたようなホームドラマともいうべき作品を発表していた。その後、こうしたホームドラマ的な路線から、いくつかのファンタジックなSFっぽい内容の作品と、実在の人物に題材を得た物語の創作──自身の曾祖父をモデルに描いた『星の結び目』(2011年、外部書き下ろし。2014年に青☆組で再演)、1970年代の横浜にいた街娼メリーを中心にした群像劇『パール食堂のマリア』(2011年)など、作品の幅を広げてきた。そして今回『海の五線譜』では、初期のホームドラマ的な素材と、グリークラブや新婚旅行ブームに沸いた宮崎といった実際に70年代にあった風俗をうまく融合させてひとつの舞台に仕上げている。新しい手法を取り入れたとか、未知のジャンルに挑戦するといった大きな変化ではないが、これまでに吉田がやってきたいくつかの手法をひとつにまとめた集大成的な作品ともいえよう。
その意味で吉田がこれからどんな方向に向かうのか、次回作への期待をも高めてくれる作品となった。
青☆組『海の五線譜』
劇場=アトリエ春風舎
2015年12月5日(土)── 14日(月)
(宮崎公演11月28日(土)・29日(日)メディキット県民文化センター)●作・演出=吉田小夏
●出演=荒井志郎、福寿奈央、藤川修二、大西玲子(以上、青☆組)、小瀧万梨子(青年団)、日髙啓介(FUKAIPRODUCE羽衣)●舞台監督:河内 崇・桑原 淳
●舞台美術:濱崎賢二(青年団)
●照明:伊藤泰行・中佐真梨香(空間企画)
●音響:泉田雄太
●演出助手:松本ゆい
●宣伝美術:空
●宣伝写真:chara*coco*
●俳優宣伝写真・撮影:伊藤華織
●制作:岩間麻衣子
●企画サポート:土屋杏文(青☆組)
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